2020年度御礼と2021年度のご挨拶
2021年度でぃありす上尾は明日4月5日からのスタートです。
本年度もどうぞよろしくお願い申し上げます。
本当は3月中に年度末の様子を丁寧にレポートしたかったのですけれども、教師自身の中で文章がまとまらず(素直に認めますと俗にいうロスです…)、ご挨拶文を書いては消して書いては消してを繰り返すうちに春休みが終わってしまいました。
関係の深い皆様方はご存知のとおり、2020年度はおかげ様で6名の3年生が進路を決定し、でぃありす上尾を卒業していきました。
フリースクールでぃありす上尾にとって大きな節目となる1年間でした。
彼らの背中を見送って以来、「でぃありす上尾とは彼らにとってどんな意味がある場所だったんだろう」とか「私は彼らの心に何を残すことができたのだろう」とか「彼らが残してくれたものを、新3年生にはどのように還元していくべきだろう」などと、グルグルぐるぐる考えていたら、あっと言う間に4月になってしまったのです。
が、そんなの答えを探したって見つかるはずもないんだよなと思い直すにいたりました。
教育とその他の業種の一番の大きな違いは、その営みの成果がわかるまでに大変な時間を要するという点です。
ひとりの生徒がある教師と出会い、学び、過ごした時間の真の意味が問われるときというのは、学び舎を巣立った5年後10年後、あるいはもっと先のことなんです。
教育の営みは、植物を育てることによく似ているなと思っています。
かわいいかわいい小さな種に、そっと土をかぶせ、毎日毎日水を与える。
どの種が、どんな色の花をつけるかも知らずに。
随分と早く芽を出す子もいれば、待てど暮らせどその気配のない子もいる。
それでも、早い子にも遅い子にも、みんなに平等に、愛情を注ぐ。
毎日毎日、水を与え続ける。
中学校の3年間でその花の色を見せてくれる子もいれば、そのさらに3年後、10年後になって「先生、こんなん咲きましたぁ」ってわざわざ見せに来てくれる子もいる。
こう考えると、教育って最高にロマンチックな営みだなぁと感じます。
中学校教育というのは3年間で完結ではないと私は思っています。
でぃありす上尾で過ごした時間がこれからのみんなの人生にどれだけ役に立つかはわからないけれど、6人の卒業生たちが最終日に見せてくれた笑顔と涙だけは、正真正銘まぎれもない事実であるということができるでしょう。
これだけがたったひとつのリアルです。
6人が6人、本当にいい顔で去って行きました。
その笑顔…勇気を出して一歩踏み出したからこそたどりつけた笑顔だと思います。
その涙…本気で自分と向き合い抜いたからこそ溢れ出た大粒の涙だったのだと思います。
それだけ彼ら彼女らは、この小さな教室で自分の人生と向き合いました。
よく逃げなかったね、よくがんばったね。
心からこの言葉を贈りたい。
そういうわけで、私はこれからもでぃありす上尾を巣立っていくときに彼ら彼女らが見せてくれた笑顔を糧に、これからも、まじめに、コツコツ、のんびりと、中学生と向き合っていきたいと思います。
新年度からも、おうちフリースクールでぃありす上尾をよろしくお願いいたします。
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